水道の歴史を知り、水の大切さを再確認しよう

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料理や洗濯、お風呂等に使われ、健康を維持するためにも欠かせない水。水はとても身近な存在ですが、その歴史については知っているようで、知らない方も多いのではないでしょうか。

この記事では、日本と世界における水道の歴史について解説します。

水道の起源

現在の日本では、水を供給する水道は当たり前のように使われています。
では人類が水道を整備したのは、いつ頃からだったのでしょうか。ここからは、世界と日本の水道の起源について解説します。

世界の水道の起源

水道の起源は4500年以上前にまでさかのぼります。紀元前2500年~紀元前1800年に栄えたというインダス文明の古代都市モヘンジョ・ダロには、上下水道が存在していました。※1
市街地では垂直に井戸が掘られ、複雑な給排水の仕組みが整っており、大浴場や水洗便所も整備されていたのです。

この約1500年後、古代ローマ時代にも、大規模な水道が整備されていたことがわかっています。古代ローマの最古の水道が、紀元前312年に作られたというアッピア水道です。その後、226年にアレクサンドリア水道ができるまで、実に11本の水道が整えられました。

古代ローマの水道の特徴は、離れた水源から都市まで、高低差を利用して水を流していたことです。その長さはなんと約500㎞にも達しました。川や谷を越えて水を運ぶために、連続アーチ型の水道橋が造られ、サイフォンの原理を取り入れる等の工夫も見られます。※2

水を取り入れたあとは沈澱糟で浮遊物を除去し、配水槽から陶製や鉛製の水道管を通して、公衆浴場や住宅等に給水されていました。このような古代水道の技術は評価が高く、近世まで取り入れられています。※2

日本の水道の起源

日本でもっとも古い水道として記録に残っているのは「小田原早川上水」です。詳しい成立年は分かっていません。小田原城下に飲み水を確保するために建設され、木を用いた水道管を使って川から水を引き入れていました。

江戸時代には、徳川家康が江戸城下に「神田上水」を設置しています。当時の江戸は、海が近いうえに土地が整備されておらず、飲み水の確保が困難でした。神田上水は、江戸の人々の飲み水や、田畑で使う灌漑(かんがい)用水として広く活用されました。※1

神田上水の水道管は、最終的には総延長28kmにも達しています。川から流れてきた水は、水道管をつなぐ枡によって水位や方向が調整され、各地の井戸に給水されていました。

年月を経て人口が増加した江戸では、神田上水、玉川上水、本所上水(亀有上水)、青山上水、三田上水(三田用水)、千川上水という水道が整備されました。これらは「江戸の六上水」と呼ばれています。この頃には、日本各地の大名たちも、それぞれの城下町で水道を整備するようになりました。※2

近代水道の登場

19世紀から20世紀初頭にかけては、新しい仕組みを用いて水道が整備されていきました。これはイギリスの産業革命をきっかけに、人口が増加したり、環境が悪化したりしたためです。近代水道の登場で、水の安全性は一気に向上し、感染症の予防や健康維持に役立つようになりました。

欧州で誕生した近代水道

近代水道は19世紀、イギリスの水道会社から始まりました。この時代の水道は、水を取り入れるだけではありませんでした。お水をろ過してきれいにしたあと、鉄の水道管で配水するという、現代にも通ずる仕組みが採用されたのです。この仕組みはロンドンの大きな水道会社に導入され、鉄製の水道管も次第に普及していきました。※1

1874年には、水量の確保や消火栓設置の義務化、水道料金制度の明確化等、水道事業に関する法律の制定に伴い、近代水道の役割が明確になっていきます。
当初、水道の普及は民間事業者により進められ、業者同士の競争も激しくなりました。しかし、採算の取りにくい地方や農村では普及が進みません。そこで1875年に制定されたのが公衆衛生法です。ここから地方自治体が水道を供給するようになりました。

近代水道が生まれた背景には、産業革命による都市人口の増加と、それに伴う衛生環境の悪化による疫病の流行があります。フランスのパリでも、都市の美化と衛生環境の改善が進められ、現代に通じる近代的な都市計画のモデルとなりました。※1

日本の近代水道の発展

近代水道の仕組みが初めて日本に導入されたのは、明治時代の横浜です。イギリス人技師・パーマーの指導で、相模川上流から取り入れたお水をろ過、消毒し、ポンプと鉄の水道管を用いて市内に供給しました。※3

日本に近代水道が導入された背景には、開国と共に国内に持ち込まれたコレラの流行対策や、首都に近い港の整備の必要性が挙げられます。横浜のあとは、函館、長崎、大阪、東京、神戸等の港町や、その他の主要都市で、次々に水道が整備されていきました。

当初は、給水工事の手続きや料金の支払いについて知らない市民が多かったため、給水の申し込み率が低い地域もありました。しかし近代水道の導入により、人々の暮らしは向上。消防効果が大きくなり、コレラの発生や流行も防止したことがわかっています。
明治から大正にかけて水道は全国に普及し、1925年(大正14年)には42の道府県で水道が整備されました。※1

時代が進むにつれ、戦争や震災等で被害を受けた水道もあります。そのような状況を経て、水道は公衆衛生施設としてだけでなく、都市の生活基盤施設として重要な役割も担うようになっていきました。戦後の高度成長期には、生活用水、工業用水、農業用水等の需要が急増したこともあり、多目的ダムが建設され、水を安定して確保する施設が多数開発されています。

水道に関する法律も「ダム建設等の水資源開発」「各種用途毎の水利用」「地盤沈下防止等」「水源地域整備」「水質・環境保全等」等が整備されました。これらの法律は現在も重要な役割を果たしています。※2

下水道の歴史

飲み水や生活用水を供給する上水道だけでなく、汚水を処理する下水道も、人々の生活において重要な役割を担っています。ここでは、下水道がどのように作られ、どのような役割を果たしてきたのか、その歴史を解説します。

世界の下水道の歴史

世界最古の下水道は、紀元前2000年頃に古代インドやメソポタミアで作られました。モヘンジョ・ダロの遺跡からは、上水道と同じように下水道の跡が見つかっています。※1

時代が進むと、世界各地に都市がつくられ、多くの人が集まって暮らすようになりました。しかし下水道は十分に発達しておらず、汚物は道路や公園に捨てられていました。これが原因で都市の衛生状況は悪化し、ペスト等の伝染病が流行することに。19世紀には世界各地でコレラが大流行し、ロンドンでは2万人以上が死亡する事態となりました。

これらの経験から、ロンドンをはじめ世界中で下水道の整備が進められたのです。1914年には、現在も使われている、微生物による浄化の仕組みが開発されています。※4

日本の下水道の歴史

日本で最古の下水道は、今から約2200年前の弥生時代に存在した大きな集落で発見されています。約1300年前となる奈良時代の平城京でも、網の目状の排水路が作られていました。ただし、この頃の排水設備は自然の水で汚水を流すだけのものでした。

安土桃山時代、大阪の城下町に建設された下水道が「太閤下水」です。太閤下水は現在も形を変えて使用されています。

日本初のヨーロッパ式下水道は、1884年に東京の神田地区に作られた神田下水です。1922年には、日本初の下水処理場である三河島処理場が完成しました。

終戦後の経済の発展に伴い大きな問題となったのが、工場排水等による川の汚染です。そこで下水処理により汚水を浄化することで、全国の河川が次第にきれいになっていきました。このように下水道は、都市を清潔に保つだけでなく、川や海の汚れを防ぐ環境保全の役割も担うようになったのです。※5

生活を豊かにしてくれる水を大切に

上水道は清潔な飲み水や産業活動に欠かせない水を供給します。下水道は汚水や工場排水等を適切に処理し、環境を保全して人々の健康を守っています。上下水道は、どちらも私たちの生活や経済を支えている大切な存在です。

日本では、蛇口をひねると水が出るのは当たり前です。しかし世界的にみると、多くの国が水に関する様々な課題を抱えています。水は無限の資源ではありません。大切に使うように心がけましょう。

参考文献

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